心。

人はモノではない

誰しも分かっていることではあるが、忙殺されるこの世界の中で、他者にも自分にも最も忘れがちになるものでもある

容姿などの外見に反して、内面のすべてとも言えるこの「心」であるが、ここにはそれぞれ生まれながらのストーリーや希望、さらには体調や不安、恐怖を抱えているものであり、そして無形であるがゆえ最も見えにくく、最も深く、最も気づかれにくい存在である

目は口ほどにものを言う、ということわざがある

面白いことに、昨今ではマスクが流行ってるせいか、目で対話する機会も多くなって来た気がする

対話とはその名の通り、対等な位置関係での交流である

そして心に必要なのは、会話ではなく「対話」

対話とは、訴えであるとか、支援を欲しがっているとか、そう言ったことを相手がいつどれくらい欲しがっているのかとか、どれくらいで満足するのかとか、SNSの文字数ではおよそ語れないほどの情報は、実は目を見て対話をすれば早い時間で読み解くことが出来る

たまにポーカーフェイスが上手過ぎて、相手に対して錯誤を生み出せる人もいるようだけど(w)、今度は自身の言葉に責任を持たねばならず、いずれにしても相手にとって自己解決しなければならない事へと発展するのみで、さほど気にする必要はない事とも言える

つまり、ポーカーフェイスは心の窓を自ら閉め切る事であるわけで、次はなぜそうする必要があるのかの部分に関心が行きやすいから、行動に不合理が生まれ大なり小なり誤解や虐めに発展しやすくなる

ただ、後天的な話ならいざ知らず、生まれながらにして自分を閉ざしてしまう事も少なからずあるわけで、本人にとってどうしようもない事を他者がわざわざ変えようとするのは、これはまた対話とは程遠い

私もだけども、つい、他者を自分の気持ちの中に封じ込めてしまおうとしてしまう事がある

良かれと思ってやっていた事も、実は相手のためにはまったくなってない時があるし、大きなお世話になる事も多い

心の成長のためには、相手が自立して考えるためにはどうすればいいか?の部分で思考を張り巡らせる方が適当であると言える。。。

 

 

が。

 

 

 

理屈は理屈。

 

 

 

それはそれ。

 

 

私が察して欲しいのに

察してはあげられんwwwヽ( ̄д ̄;)ノ=3=3=3

(電池切れ)