砂上の楼閣。

・・・暑い。 (゚A゚;)アツー.

 

(冬なのになぜこういう事を書いてるかと言うと、この記事自体は昨年の夏に書いたからである)

 

 

しかし、われながらなんてカッコいいブログタイトルなんだろ。。(笑)

 

 

ブログタイトルは、アメリカで行われたとある社会実験の名前からちなんだのだけども、要約すると、人は肩書きや著名なものや権威あるものに価値を感じ関心を示すが、そうでない場合はまったくの無関心であるという内容である。

 

この実験では、世界的に権威のあるヴァイオリニストが、みすぼらしい恰好をして通りすがりの大衆・数千人の前でヴァイオリンを路上で弾いた場合にどうなるか?を検証していた。

結果、誰も関心を示さなかったのである。

(ただし一人だけはそのヴァイオリニストだと気づいたらしい)

 

www.washingtonpost.com

 

(この、、、さりげなく英文記事を置いておくと、実際は田舎者なんだが帰国子女感が演出出来てなかなかいいとは思わないか?🤡)

 

「そんなの当たり前だぉね★」という感じもするのだけども、ここで重要なのが、人は本質的なものより外聞の質で価値を感じるもの、すなわち、価値の与え方によっては人を騙すことが出来るということなのである。

 

例えば、仕事の質が良くても外聞が悪いと価値を低く見積もり、逆に仕事の質が低くても外聞が良ければ高い価値を感じるということである。

・・・あ~ん、こわいね(笑)

 

日夜SNSで繰り広げられている外聞合戦。

タタミ3畳の部屋であっても、スマホとアプリさえあれば、キラッキラ☆彡なお城住まいの姫や王に(ちょっとだけ)なれる時代。

 

しかしながら、そこに信条や一貫した概念を入れなければ、現実として砂上の楼閣であることにも変わりはない。

砂上の楼閣・・・カッコいい言葉をさりげなく使うのは悦に浸れるのでけっこう好きである。。

んふっ。笑

 

誰でも(やろうと思えばw)悦に浸れるいい時代だね。

一昔前は、悦に浸れると言えば競馬やパチンコで勝ったときくらいで(※BIGがかかれば、演出を垂れ流しにして見せつけたままコーヒーを買いに行き、そしてタバコに火をつけて、数分間周りにドヤ顔してもいい権利が与えられる)、今のようにYoutubeやブログ、SNSなどで得意なことを披露する、、、なんてことは出来なかったわけでして。

 

ただ、悦に浸れるからといって、自惚れすぎると足下が見えなくなる。

つまるところ、価値の感じ方なんて人それぞれ、と言えば話は終わってしまうが、考えるヒマもなく通りすがる時は、人は一瞬で価値を判断する材料が現実的に必要なのであり、それに対して考察のきっかけを与える、いわゆる人の目を惹く方法を日夜考えている者たちがいるのもまた事実なのである。