CIELO。

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オンライン完結のバンド「CIELO」

 

CIELOは約7年前に、とあるボーカル用のカラオケ音源を作った所から始まった

当初は一人二役で謎解き要素を入れた動画を作成するつもりだったのだが、このカラオケ音源にボーカルを吹き込んだ人が現れ、その流れで2人で活動を始める事になった

よくある歌ってみた弾いてみた動画でなく、MV寄りで動画を作成しようと言う事で話が進んだ

彼もこういった事がしたかったのか、なかなか凝った演出を作って来てたし、私の機材は乏しいものの、音源もそれなりに完成させる事が出来た

やがて色んな仲間が集まり、最終的に5ピースバンドとなる

コンセプトはわれわれ世代が馴染んだロックをアレンジして、新たに息を吹き込むというもの

5人それぞれがデモ音源を基にアレンジを行い、自撮りなどで自身の演奏を撮影し、それらを回収してミックスをするというものだった

デモや案としては10曲ほどあったのだが、世に出せたのは最終的に6曲

再生数としてはメジャーには到底及ばないものの、対反応の部分としては相対的に評価が高く、一定のレベルのインパクトを作る事が出来た事になる

リサーチの後にそういったバンドはいくつかあったものの、工夫はあれど個人的にはどれもインパクトに欠けるものがあり、こういった仮想敵に対してどの部分で仕掛けるかはかなり頭を悩ませた

本来相手が敵ではないのなら頭を悩ませる必要はないのだが、どうせ出すのであれば他を凌駕するほど圧倒的な音源で行きたかったのである

 

ところでわれわれはバンドであるから、やはりインパクトの第一要素としては音源である

これを裏付けるものとして、メジャーでなくとも静止画を用いて、ファンにそれなりに聴かれている音源というものがYoutubeには多数ある

音源を作るに当たり、各人の音をどのように扱うかは私の裁量により決められるものの、それぞれのプライドや面子もあるので最も気をつかう部分である

みんなの表情や人間性、会話を想像しながら、全員の面子を同じ様に立たせなければならないが、インパクトという部分で最終的に目立つべき人間を目立たせる所で私は悪者になる覚悟をする

これはどんなチームでも通るべき道なのだろうけど、私としては売るべきものとしてどこを際立たせるかは外側からの評価を必ず想像して決める事となるし、表に出す以上はそこは譲れない

だけども、実際これらは録音段階で自ずと決まるもので、その前の選曲と、何よりデモとディレクション、そこからつながっていくメンバーの士気が重要になる

デモ音源がメンバーからポジティブに受け入れられたものはまず成功する

反対に、反応が薄ければ成功しない

演奏するメンバー自体の反応や表現が固いのに、それを完成形として受け入れるべきオーディエンスはもっと反応が固くなるわけだ

デモ音源はほぼ完成した状態で納めなければメンバーから素直な反応を引き出すのは難しいわけだが、デモというのはそもそも作る前に既に頭では決めているので、そういった私のセンスとメンバーのセンスが合うか合わないかになっていくから、加入前の音楽センスのすり合わせが結局のところ肝になる

しかしながら、メンバーからのポジティブな反応というのも10曲に1曲あればまだ良い方で、全ての楽曲においてメンバー全員の心からの賛同を得る事はまずあり得ないし、好き嫌い、得意不得意もあるのでそれが当たり前と思っている

 

さて、ここまで準備すればあとはそれぞれの持ち味に委ねるしかない

もちろん委ねていいものだし、むしろ委ねなければならないのだが、集まった音源を一つひとつ聴きながら、どういった考えを以ってここに至ったのかを想像する事になる

口下手なわれわれが音で会話をするというのはそういう事だ

忙しい中でそれぞれが工夫を凝らして、チームのために持ち寄った音源というものは尊い

私がどれだけ完成のイメージを持っていたにしても、その尊さにだけは敵わないのである

 

たった6曲

されど6曲だった

 

それぞれが思いを込めて作りあげた作品は何ものにも変え難い価値がある

それが第一期CIELOだった

 

某大手インディーズレーベルの主宰も注目していたCIELO

関東圏でのライブを期待されたが、

 

 

諸事情により出来ませんでしたwww

 

(ごめんチャイナ💖)

 

 

 

 

まあ。。。

 

 

また頑張ろうではないか☺️

 

 

 

 

 

終止符。

ついに13年に渡る活動にピリオドをつけた

もはや表現者というよりは(姿形にかこつけてw)精神的な拠り所となってしまいいつまで経っても前に進めないからだけども、少し寂しいとは言えこれで良かったと思う

表現者には、心情を言葉で語る事がやや許されない空気がある

それは確かに言えてる部分があって、そもそも表現している手段でしか受け入れてもらえていないからだ

俳優なら舞台で、奏者であれば音楽で、政治家なら政治で、と言った具合だろう

奏者が大勢の前で政治を語ってもただの戯れ言となり、政治家が遊びを記事にすれば怠慢と見做される

いずれにしても、肩書きの使い方を間違うと誤解は進む

 

人間、必死になってれば誰でも愚痴や文句の一つ二つはあるだろう

もちろん一生懸命やっている証拠ではあるけども、あまりにもそれらが多いと根本的にどこかの何かが狂っている、もしくは間違っているのではないかと感じる

それを自分自身の中に思う時、やはり切り捨てるべき過去があるのではなかろうかと

決してストイックなものではなく、今の人間関係と向き合うために、必要な事を選んだまでである

 

そしてこれこそが私の一番良いところである(๑˃̵ᴗ˂̵)

「音楽をしている人は変」

タイトルの通り、たびたび

「音楽している人って変な人が多い」

という話にぶち当たることがある

変な人が音楽をやっているというよりは、自分の殻を破って正直に自己表現していて、結果的に変に見えてる、という方がどちらかというと正しい気がしている

つまり「自己表現において成功している」とほぼみなしていい

(害があれば表現事故である)

その辺の話だと、もう私なんか一体どうなるのかwwみたいな(たぶん見方によっては変態ですからねぇ)

この表現というもの。。。音楽や絵画や記述などいわゆる芸術に頼らなくても、一日中自分を表現出来ている人にとってはそれらによってあえて表現する必要は特になく、逆にそういった人がそれらに真剣に向き合っているのかというと、それはないように感じる

もちろん誰にとっても自由はあると思うけども、口下手な人間からすると、残された表現というのは音楽などそれら芸術分野になるわけで、おそらくそれなりのプライドを保って扱っていると思う

私はどちらかというと何でもやり散らかすタイプなので、物事が面白いか面白くないか、そこにいる人たちが好きか嫌いかでしかほぼ判断していない(嫌いな人もいませんけどね^^)名前を残す残さないとかももちろん人並みには考えるけども、実際固執してはいないので、残す方が苦痛になったり、やっていることが面白くなくなったらたとえ数字が出ていても必ず辞めるようにしてきた

SNSだってそう、最初の話からズレてグループ内で忖度が始まれば、それまでのフォロワー数や著名人を含んでいたなどもどうでもよく、あっさり捨ててきた。本音の見えないグループは私にとってかなりの苦痛である

これらは私の中ではハッキリしている

そもそも私は誰かを立てるためだけに生きているわけではない。誰かを立てても二番煎じ三番煎じと後回しならまだしも、結局はことごとく裏切られてきたからであるし、賭け事に近いものもあり、デメリットばかりでメリットが何もない。

必要な情報を隠されて思い通りにされようものなら簡単に勘づいてはしまうもののそれだけではストレスにはならないし、どこでもある話

ストレスになる場合はなにかというと、私の意思を全て犠牲にしてまで相手に追従せざるを得ず、しかもまったく望んでなかった結果になった場合(つまりなんもメリットがない場合w)一択である

さらに後悔と反省と恨みだけはしっかり残るから、それで心の補給も出来ず歩けなくなるのが辛くて仕方がないわけであるw

これ、誰でもそうだと思うけども、実はここに至る条件というのがある

単純な話、ほとんどが自分の意思を明示していないから起こるのだが、しなければならないことに追われつつもどこに行っていいか分からず人の話を信じやすかったり、弱気になっていた時の世界観で物事を決めてしまった場合の、典型的な副作用である

やりたいことをやる・・・言うのは簡単なんだけど、もちろん置いていけない人や捨てられない物もあり、そんな時は引き摺りながらでも進むしかないわけで、自分だけが生き残ろうとする者に踏み台にされたり持ち物を奪われたりされた事だってあるわけだ

置いていけない人、捨てられない物、、、これらを断捨離することは歩みにおいては非常に重要な場合もあるだろうが、約束をした以上、引き摺ってでも連れていかなければいけない人だっているし、歩んだ先においてなくてはならない物だってある

自分の中での一貫性として守るべきものを守っているだけなのだが、一生懸命なのにもかかわらず疲れた時にたまにつけ込まれてしまうこともある

だから私は約束と話の筋を守れない人間だけはどうしても信用出来ないし、許容すら出来ない。もちろん諸事情によって話は変わるものだけども、じゃあ契約変更しましょうよって思うよ。

そういった事が今まで延々と続いてくると、もはやその辺をバネにしないと生きてはいけなくなってくる

対等さの維持。。つまり私は、この一貫性と同じ考え持つ人、同調してくれる人を探し続けている事になる。残り少ない人生の中で非常に重要なことである(長生きするかも知れんけど)

だからこのブログを含む自分なりの表現は出来るだけし続けなければならないね。。

 

ではバンドはどうかというと、その辺の存在意義を示すという小難しい話よりは、単純に

 大人の遊び(ただし本気)

なだけである(小難しい話の後でアレですが。)

ここに至る考えや性格は前述の通りであるが、そこに誰それ巻き込むわけにもいかない。それに真面目に歩むばかりでなく、時に脳には休息というか、思考の転換も必要なわけである

確かにそう。休日だからといって一日中寝ていれば、サザエさん症候群(月曜日に学校や仕事に行きたくなくなる病)になりやすく、ガラッと非日常を味わう方がリフレッシュは出来る。美味しいものを食べる日にしてもいいわけだし。。

そんな時に役立つのが芸術である

自ら異世界を作りだして、そこに浸る。そうやって非日常を味わい、普段のストレスから解放される日があってもいい。子供のように表現の限りを尽くすべきだ

こういった日にたまたま出会うのが「大人のくせに変な人」なのであろうw。。。でも私に言わせれば、それが普通なんだと思う。女子だからと言って腕力をなめてもいけないし、男子だからといって心も100%男子とは限らない(w)

見た目と精神のギャップがいつの世も話題になっているが、ここを埋め尽くすヒントはそろそろ出揃ってきた。元々表現は自由であり、その奥にある性別を超えた人間性の部分が今からはより重要になる

セクシャル含めて、外見はどんなに変に見えたとしてもやはり真心だけは捨ててはいけないものであろう

 

ただね、、、

女装して女子風呂女子トイレ入るとかいうのは

マジでやめてくれんか(; ・`д・´)

(そこまで発達することはおそらく未来永劫ないw)

そういった貴様らホンマもんの変態のせいで私を含む多数のマイノリティ(ちょっと言葉が矛盾しているがw)が同じ目で見られ、表現が制限され生き辛くなるわけだ

(そもそもそこに何のメリットがあんのよドアホwww)

いくら自由な自己表現ってったって犯罪はダメだ、ダメ(´・ω・`)

・・・どうしてもってならそういうエロ漫画描くとかそういうビデヨとか映画作るとか、芸術を以ってグレー(すれすれ)でゆけグレーで!

つまるところ、こういったものは短絡的思考で度を越して自己主張が過ぎるわけだ(もはや病気といえばそれまでだけども)。しかし真心さえ持つよう心掛けていれば、需要だけでなくそもそもそういったことをされた側の気持ちも理解出来るだろう

真心とは偽善ではない。偽りなく誠心誠意を尽くす心とは言うもののそれだけではなく、視点を物事の中心に据えて、表と裏、左と右、SとN(SとMじゃないぉ)などの両極を適切に判断できる心の在り方のことを言っている

一つの物事には相反する二つ以上の側面が必ずあるから、善と悪があるとすれば、さらにその善側、悪側のそれぞれの両側面までを見極めないと、おおよそ差別・偏見の目からまず救われることはない。でもそんなに難しい話でもなく、どんな苦境においても誰もが上手く行くことを望んでさえいれば真心はちゃんと手に入れられる(これだけは金じゃ手に入らん)

こういった犯罪の報道では真っ黒々な話でも裁判では次第に事情が明らかになってはいくが、やはりそこを理解してくれるのはごく少数、場合によっては一人もいない時もあるだろう

遺伝、生い立ち、環境、挫折etc・・・複雑な要因で心に穴が空いたまま大人になってしまうと、なかなかそこに気づけないまま過ごすこともあるだろう

望んでいなくてもいつの間にか邪心が育つことだってあるわけだ。それも理解している

 

でもだからといって

ダメなもんはダメだからw(; ・`д・´)

 

・・・人から変だと思われるのは全然いいが、ホンマもんの変な人間にならないためにも、ちゃんと芸術で勝負しようではないか。笑

 

そのための妥協は一切しない方がいい

 

 

BBZ結成前夜。

おととし12月に、とある掲示板にて募集をかけ結成されたのが「Bamboozle」

公募によるフルメンバーの募集は初めてで、年齢性別、国籍、経験や技量などは問わず、たまにスタジオでヨッコラっしょw出来るくらいで良いのかな、あとは全体の仕上がり次第でボツボツやっていこう、、、と言う、何とも軽い気持ちで募集をかけたもので、言わば大人のサークル活動的な主旨でスタートさせたものだった

ギターを弾く機会がなかなかなく、やはり個人の目的を作らなければそうそう触れることはない

この活動の主眼においては、位置付けとしては“BOØWY ファン”が怒らない程度にアレンジをかけていく、いわゆる「CIELO」の前衛的なものであったが、BOOWYの楽曲を専門的に使用し反応をどこまで得られるかに焦点を置いており、公募タイトルには

BOØWY らしくないBOØWY のバンドを作ります💖初心者OK🙆‍♀️」

と書いた

「らしくなく」と言うのは、単純に普通じゃ面白くないからであるし、定型より逸脱出来れば演者それぞれのストーリーやバンドのドラマを作る事に繋がっていくので、ただのコピバンよりも内容が分厚くなっていき長続きしやすく、また人々も魅了しやすくなるからである

もちろん基礎的な楽典や表現、そしてBOOWYを知らなければこの再現は難しく、まずは一通りのコピーが出来なければ達成は困難であることは承知している

技量を上げる方法は自分自身の経験を通じて知り得ているので、初心者が来ても特に問題はないと思っていたが、そもそも我々には本業が別にあり、それぞれの個人の目的にかなりの温度差があるのは仕方がないことも承知していたので、まずはお互いを尊重し合い受け入れ合う人間関係の構築が最優先になる

人間関係の構築においては「圧」、中でもストレスとなってしまうものが必ず障壁になる

「圧」とは、能力、時間軸、定型プロセス、失敗に対する責任、結果に対する責任etc...

経験や自信に応じて、このあたりの感じ方はまるで変わって来る

一旦ここをフラットな状態でスタートしなければ、ましてや公募で集まった赤の他人同士の一からの人間関係の構築は不可能である

実際のところ、個々の技量を上げるためにノルマを決めて「時間圧」を利用することは案外不可欠な要素ではあるけども、各々の環境や考え方が見えてくるまでは、一番ゆっくりな人に合わせることになる

それはそれで、早くノルマをクリアできる人達は他の事で時間をつぶせばいいだけである

もちろんこれは大前提である各人の仕事や家庭などの社会的立場を維持優先させなければ、プロ志向でないがゆえ秩序が崩壊するからであるが、マイペースにやればいくらでも時間はかかるし、そもそも効率が悪い

それぞれの面子を保ちながらも、組織では避けられない急進的な部分と保守的な部分の帳尻を合わせる仕組み作りは最優先課題であり、これまでのところ何とか作れてはいた気はする

しかしながら、本業がありながらの音楽活動というものは時間の割き方によって大きく影響されるので、人間関係の調整に費やせば費やすほど私が持っているリソースは枯渇していき、ついには断念せざるを得なくなる

 

1st Season CIELOはそれで崩壊している

あの頃はちょっとだけ若かったのでつい消滅させてしまったのだが、今考えると理由は明白であった

メンバーそれぞれの個人の目的と組織の目的が一致して初めてチームワークが強固になるのだが、ご存じの方もいるかもだが、そもそもCIELO内での私自身の在り方(w)に問題があったため、 プロ志向で最も技量の高い急進的なあるメンバーの目的が遂げられなくなり、他メンバーを相手に反乱を起こしたわけである

 

つまり、1st Season CIELOのライブ実現が不可能だった、とある一点の部分(w)が崩壊に最も影響している(・・・当たり前なんだが)

だけどもこれは当初から想像に難くなく、主旨としては、

「オンライン完結、活動期間は1年、目標はスカウト」

とハッキリ謳っていたため、途中から入ってきた彼の意見は容認出来ず、主旨を守っていた他のメンバーをも困惑させてしまい維持が不可能となり、1st Seasonは私の手で自ら壊した

彼には、

「そんなに熱があるのなら人の庭を荒らさず自分自身でやれ」

と言ったものだったが、私も反省すべき点は多々ある

熱意のある彼に対して気持ちをわきまえず言い過ぎであったし、彼もまた私と共に歩む未来を夢見ていたのであろう

それを思うと、いくらルールはルールとはいえなんだかかわいそうな事をしたと反省はしている

ちょっとだけw

 

だが主旨が前提に立って公式が成り立つ以上は私の立場や考えも少しはわかって欲しかった

主旨は運営者としての大黒柱であるから、それを崩せば全てが狂ってくる

大黒柱を倒壊させれば、それに付随している支柱にも負担が来て、やがては崩壊する

そしてこの責任は発起人である私にも誰にも取れない

もう一つ

各々プロ志向ではないから、活動には絶対的な限界がある

なぜプロ志向ではないかというと、単純に仕事などが忙しいからであるw

そこで1番悔しい思いをしているのは、可能性と同時に限界が見えてしまう私自身なのだが、そんな中でもプロ並みのコンテンツを工夫の中で構築していくのは不可能ではない(クオリティーについては機材も絡むため話は別である)

今は誰もがそうやって活動しているから、生存競争の中での重要な要素にもなっている

バンドに限らず、会社などどんな組織でもそうだろうが、時間の経過と共に発起人の当初の決め事は必ずしも守られるものではないし、目的が完徹されるのであれば、それはさほど重要でもない

実際そこには流動的な手、つまりは他のメンバーの意思や願いや想い、目標、目的、こういった利害要素が複雑に絡み合って組織は成長していくため、ここでブレインである発起人こそが柔軟性を持たねば、ある一定の成長で止まるのも理解はしている

そこで最も重要なのは、メンバーそれぞれの気持ちである

気持ちとは、実は自分の弱さにこそ隠れているから、案外自分で見つけ出すのは難しい部分もあるし、特に男性にとっては表現もし辛い

また、組織においての気持ちというのは、一般的にそこで実現してみたいのは何かという部分であるから、各々の利害関係や個人の目的については妥協が自ずと必要になる

それぞれの発想や自由度が奪われるのはそのせいであるが、これはどのようなコミュニティでも言える事

そこの混同がなきように配慮しても、これは実際の所、お互いの歩み寄りや話し合いや語り合いがなければおよそ成立が難しいし、何よりいい意味で諦めが肝心ということになる

つまりバンドの音とは人間関係そのものと言えるわけで、われわれの人間関係をオーディエンスにそのまま伝えていることになる

オーディエンスは果たして各々利己的で軟弱な基盤を支持するだろうか、それとも目的を最優先とした強固な基盤を支持するだろうか。当時は感情が支配し過ぎて分からなかったが、今思えば答えは明白であった

全ては成長を妨げた私の責任であり、実際その責任すら取れない立場であったのを理解すらしていなかった

・・・いや、理解してたからこそオンライン完結だったんだけどまさかこんなことになるとはw

 

そんな反省を踏まえた上で当プロジェクトは進んでいる

1年が過ぎた

「思い通り」という概念、つまりエゴはなるべく捨てるようにしている代わりに行き着く先は保証出来ないが、それが毎度毎度私の思っていた通りにならないところもまた楽しみの要素の一つなのかも知れない

 

 

さてさて、運営においてやるべき事はかなりある。。。

 

少なくとも私が考えられるだけでこれだけある

【広報】

Twitter

Instagram

Youtube

ブログ

ホームページ

【企画営業マネージメント】

イベントブッキング

イベンターとのセッティング

ライブハウスとの企画考案

メディアプレスリリース

メディア出演交渉

Youtube戦略考案

インフルエンサー交渉

決定情報・予告情報周知

経費見積

入出金管

【技術】

録音

音源ミックス編集

音源マスタリング編集

撮影

動画ミックス編集

照明

演出

デザイン

 

めんどうといえばめんどうであるが、組織においてはそれぞれの気持ちというのもここへの理解深度や拒絶の中で決まるし、私自身の目的はこれらを全て網羅して成果を出して行く事である

なるべくなら、手分けした方がいい

構成は細かければ細かいほど精度も成果も上がり、内外でより魅了もしやすくなる

 

さらに。。

ここに作曲、作詞、編曲が来れば、これら運営上のプロセスに匹敵する作業量が待っている

 

時間も限られているがゆえに、今現在欲しいものは何かと言われれば、お金ではなく「時間」である

ん~だから神様っ!時間をくれっ!という思いでいっぱいではあるが、実はそれよりも精力がかなり重要なのではなかろうか?wwと、年齢を鑑みて少しばかり弱気になってしまうところもあるわけなのである。

 

・・・あるのよ。

 

 

 

(おしまいw)

砂上の楼閣。

・・・暑い。 (゚A゚;)アツー.

 

(冬なのになぜこういう事を書いてるかと言うと、この記事自体は昨年の夏に書いたからである)

 

 

しかし、われながらなんてカッコいいブログタイトルなんだろ。。(笑)

 

 

ブログタイトルは、アメリカで行われたとある社会実験の名前からちなんだのだけども、要約すると、人は肩書きや著名なものや権威あるものに価値を感じ関心を示すが、そうでない場合はまったくの無関心であるという内容である。

 

この実験では、世界的に権威のあるヴァイオリニストが、みすぼらしい恰好をして通りすがりの大衆・数千人の前でヴァイオリンを路上で弾いた場合にどうなるか?を検証していた。

結果、誰も関心を示さなかったのである。

(ただし一人だけはそのヴァイオリニストだと気づいたらしい)

 

www.washingtonpost.com

 

(この、、、さりげなく英文記事を置いておくと、実際は田舎者なんだが帰国子女感が演出出来てなかなかいいとは思わないか?🤡)

 

「そんなの当たり前だぉね★」という感じもするのだけども、ここで重要なのが、人は本質的なものより外聞の質で価値を感じるもの、すなわち、価値の与え方によっては人を騙すことが出来るということなのである。

 

例えば、仕事の質が良くても外聞が悪いと価値を低く見積もり、逆に仕事の質が低くても外聞が良ければ高い価値を感じるということである。

・・・あ~ん、こわいね(笑)

 

日夜SNSで繰り広げられている外聞合戦。

タタミ3畳の部屋であっても、スマホとアプリさえあれば、キラッキラ☆彡なお城住まいの姫や王に(ちょっとだけ)なれる時代。

 

しかしながら、そこに信条や一貫した概念を入れなければ、現実として砂上の楼閣であることにも変わりはない。

砂上の楼閣・・・カッコいい言葉をさりげなく使うのは悦に浸れるのでけっこう好きである。。

んふっ。笑

 

誰でも(やろうと思えばw)悦に浸れるいい時代だね。

一昔前は、悦に浸れると言えば競馬やパチンコで勝ったときくらいで(※BIGがかかれば、演出を垂れ流しにして見せつけたままコーヒーを買いに行き、そしてタバコに火をつけて、数分間周りにドヤ顔してもいい権利が与えられる)、今のようにYoutubeやブログ、SNSなどで得意なことを披露する、、、なんてことは出来なかったわけでして。

 

ただ、悦に浸れるからといって、自惚れすぎると足下が見えなくなる。

つまるところ、価値の感じ方なんて人それぞれ、と言えば話は終わってしまうが、考えるヒマもなく通りすがる時は、人は一瞬で価値を判断する材料が現実的に必要なのであり、それに対して考察のきっかけを与える、いわゆる人の目を惹く方法を日夜考えている者たちがいるのもまた事実なのである。